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『しましまな日々』
子どもの育てかた。

私の娘、きこ(1歳・あだ名:きこり)の成長を、毎月かかさず見てもらっていた助産師さんと先日、卒乳を機にお別れすることになりました。どんな時もにこやかに、穏やかに道を示してくれた彼女に、この先きこりをどんな心持ちで育てたらよいのか——、かなりばっくりとした質問を投げかけてみました。
「3歳までは神様のように、3歳から16歳までは召使のように、16歳以降は友達のように育てなさいね」。あとから調べてみたら、どうやらこれはインドに古くから伝わる格言らしいのだけれど、妙に納得感があり、すぅっと胸に落ちてきました。
脚で自立し、人としてある程度お話しができるようになるまでの乳幼児期、つまり3歳までは「人間」ではなく「神様」の管轄なのだそう。私は普段、宗教的なものにはほとんど接していないけれど、これは日々、肌で感じ取ることができる。たぶん、きこりには、私たち大人には見えないものが見え、感じられないものを感じ、聞こえないものが聞こえている(ときたま、誰もいない方向にバイバイ〜!と手をふってニコっと笑っているのはホラー的だが)。お互いに寝っ転がって、きこりをむぎゅーっと抱きしめてみると、身長差はジャスト2倍(現在きこり80cm、私160cm)もあるのに、なぜだか私がきこりに包み込んでもらっているような感覚になることがある。これもなんだか神っぽい。ちなみに再従姉妹(4歳)をむぎゅーっとしたときは、この感じは全くなかった(単純に人の子だから…?)。つまり3歳を過ぎると「人間」管轄の、「普通の子ども」になるのだそうだ。
その先の「3歳から16歳までは召使いのように育てる」というのは、親が全てをやってあげたり、口出しするのではなく、なんでも自分でやらせなさいという意味。そして、ある程度、自律した16歳以降は「友達」のように接してよし!というわけ。
ちなみに、きこりは絶賛イヤイヤ期。「神様期」を、「イヤイヤ期」だなんて言っては失礼だなぁ〜とは思いつつ、あとを追いかけ周り、注意する毎日。たらふく食べた夕飯後に「おせんべー!」と泣きじゃくる、ちっちゃな神様。顔を拭かれるのと、歯みがきが大の苦手な、まんまる顔の神様。とはいえこの世で一番、私に似た神様よ、3歳までできる限りチヤホヤさせていただきます!
【これまでのお話はこちら】
→『しましまな日々』1歳。よくやった!
→『しましまな日々』素敵な、おさがり。
イラスト/HILLARY