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憧れて、人生。第4回

今日も何かに憧れて生きている私です。

久しくブログを公開していない間に、私、父親になりました。
昨年の12月5日、無事女の子が誕生しました。

このブログで、さまざまな憧れを垂れ流しておりましたが、出産までの数日は、そんなことを思い出す余裕もないほど想像を上回る現実の連続。

今回は、憧れとリアルガチな現実の答え合わせをお届けします。

出産の現実①
「予定日は、予定日」

予定日は遅れて当たり前だとは聞いていましたが、とにかく長かった・・・。

予定日は、11月29日でしたが、予定日を過ぎても全く陣痛の気配なし。仕事中に妻からLINEのメッセージが入るたびに、ドキッ!としていましたが「今夜はブリ大根でいい?」だの「帰りに炭酸を買ってきて」だの、仕事中に呼び出され、慌てて駆けつけるといった妄想は、ことごとく裏切られたのです。
そして、その週末、12月1日に病院に定期検診に行くと、予定日を過ぎているため、日曜日から入院して陣痛促進剤を使うことになりました。


出産の現実②
「いきなり分娩台には行かない」

12月3日(月)からいよいよ陣痛促進剤の投与が始まりました。

陣痛が来たら、いきなり分娩台に乗っかってヒーヒーハーとやるのかと思っていましたが、まずは、「陣痛室」という部屋に入ります。胎児も子宮口も万事スタンバイOKの状態になり、もうリーチ!というお産ギリギリの段階まで陣痛室で激しい陣痛と戦うことになります。

妻が入院した病院の陣痛室は、なんと相部屋!
カーテン越しに隣の夫婦の声が丸聞こえなのです。

この「陣痛室」という名の人生劇場では、想像を絶する痛みがもたらす、不安、恐怖、怒りなど極限状態になった妊婦たちの、魂の叫びが聞こえてきます。


私が実際に聞いた、名シャウトをいくつか紹介しましょう。



「お、な、か、い・た・い!!!!!」

これほどまで、どストレートな大人の「お腹いたい」を聞いたことがありません。


「お願い! もう、いきませてーーーーーー!!!」

人生、これまで色々なお願いを聞いてきましたが、生まれて初めて耳にした、願いでした。
ただ、陣痛室は、お産をする場所ではないので「まだ、いきんではいけません」と助産師さんに却下されていました。


「でちゃう、でちゃう、でちゃうーーーーー!!!」

陣痛室から分娩台には、自分で歩いて移動します。ある妊婦さんは、歩きながら「でちゃう!でちゃう!でちゃう!」と終始叫びながら、分娩室へと入って行きました。
付き添いの看護婦の「はいはい、大丈夫ですよ〜、まだ出ないですよ〜」という冷静なフォローもすばらしかった。

私も昔、駅から大をもよおして、自宅の手前まで来て同じような叫びを言った記憶があるので、なんともリアルな表現でした。

その時、私たち夫婦はというと…カーテン越しに聞こえてくる激情型妊婦たちの名演の数々に、完全にドン引き…。

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出産の現実③
「出産は、夫も体力勝負」

陣痛促進剤は、子宮の筋肉に働きかけて陣痛を促す作用がある薬剤。点滴で少しずつ、投与する量を増やしながら、陣痛の具合をみていきます。

痛みが来れば、痛みを紛らわすために、テニスボールで腰や尻を全力で押します。この、陣痛が治まっている間に、私も飲み物を飲んだり休憩をとるのですが、陣痛促進剤の量を増やすごとに、“冷静と情熱の間”がどんどん短くなっていきます。
MAX量を投与した時は、もう2、3分間隔で陣痛が襲来!親指は痛み、腕もぱんぱん、汗びっしょり。妻の辛さに比べたら比べ物になりませんが、こちらもなかなかヘロヘロです。

うちの妻はなかなか、胎児が子宮口まで下がってこず、促進剤を投与している朝の8時頃から夜18時頃まで間は、延々と陣痛がきては、治まってを繰り返しました…。

 
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「きた、きた、きた・・・・」と言い出し、痛みの最高潮で変身。もう現実世界の声は聞こえません。


出産の現実④
「わが子との初対面は案外、泣かない」

12月5日。陣痛室3日目。

また朝から陣痛促進剤で冷静と情熱の繰り返し。
お母さんのお腹の中がよほど心地良いのか、昼を過ぎても下に降りてくる気配なし。そして、ついにタイムリミットがやってきます。
最後の検診に来た助産師さんの判断で、帝王切開を提案されました。

妻は陣痛が来ても、さほど痛がらないほどに疲弊しきって枕に顔を埋めて「もういい。お腹を切ってくれ」と言う始末。
こんなに頑張ったのだから、母子ともに安全な方法で出産してほしいという思いで、承諾しました。それから15分後には手術開始とのことで、助産師さんから今後のリスクや注意すべきことを説明され、渡された7、8枚ほどの承諾書に次々とサイン。
 
そして、妻は手術室に入って行きました。

私を含めて家族は産婦人科のロビーにある休憩コーナーで待機。産まれたら手術室に呼ばれるとのことでした。

1時間後。

いきなり「太田さーん」と呼ばれて、ナースセンターの方を振り向くと、保育器に入れられた、シワシワの小さな生き物が!

「太田さんの赤ちゃんです。無事、生まれましたよ」

手術室に呼ばれるつもりで、心の準備をしていたのに、わが子との初対面は、産婦人科医病棟のロビーになりました。
私はあまりに突然の出会いだったため、動揺しまくり。わが子との初対面の時に言おうと思っていた言葉もあったのに、保育器の周りには助産師さんや手術を担当した先生たちがたくさんいて、さらに廊下を通る他の妊婦さんもいる状況。しみじみと感動に耽る雰囲気ではなく、助産師さん一同からの「他の妊婦さんの通行の邪魔になるので、とりあえず早めに新生児室へ運んでもいいっすかね」という無言の圧に押され、初対面は一瞬で終わりました…。


出産の現実⑤
「けっこう、子どもは生まれている」

陣痛室で過ごした3日間、次から次へと新たな妊婦さんが陣痛室にやってきて、分娩室でお産をしていました。時には、数分差で別の妊婦が分別室に入っていくこともあり、現場は大賑わい。
世の中、少子化と聞いていましたが、本当なのでしょうか。 
おそらく、こうしている瞬間にも、どこかの妊婦があの陣痛室で、新たな命とともに戦っているかもしれない。
自分たちにとっては特別な体験でしたが、産婦人科では、そんな壮絶な日常が繰り返されていることを知りました。
すべての妊婦さん、ママさんにリスペクト!
すべてのパパは戦友!
そして、憧れの父親にしてくれた、奥さんにありがとう。
 
 
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それでも、憧れはつづく。
 
 
 
「憧れて、人生。」過去の回はこちら
 
 
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Y-SUKE

Y-SUKE

これまで自衛隊雑誌、グルメ系雑誌などの編集を経験。趣味は、神社仏閣巡り。ウォーリーに似ているが、探されることは少ない。

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